リバウンド・アラウンド

新装版が出ていたので

長沢節の「デッサン・ド・モード」を

購入してみた。

 

 

さて、実際に開いてみるとである、

どっこも新装なんかしてねーじゃねーかよ!

なのであった。

 

ほとんどが旧タイプのままである。

セツ先生は故人になられたので

新作はあまり期待はできないかもだが、

にしてもほとんど改定されてる

場所がナイ。

 

ところが、

ところがところがところがである。

やはり今見ても長沢節の絵のインパクトは素晴らしく、

ほとんど古さを感じない

イヤイヤむしろ、

コレやっぱカッコイイんじゃないの?

と思わせるモノで溢れかえっているのは

不思議だと思う。

 

人間のカラダって、こんなに美しいんですね。

というのが率直な感想である。

 

基本はモードファッションであるが、

人体の描き方があまりにもカッコイイので、

とゆうよりもどこかワイセツ感があり、

(裸が描かれてるといったイミでナシ)

こんなにヒトをカッコよく見せられるヒトは

そうそういないであろうと思う。

 

セツは

バルドーのビデオやピチカのジャケも

手がけた森本美由紀

ミスドやパルコを手がけた

ペーター 佐藤

シネマ系のいまや大御所

石川 三千花

ポップ系イラストでは右に出るものがいない

上田三根子

「働きマン」や「花みつ」のベストセラー作家

安野 モヨコ

など、そーそーたるメンバーが名を連ねる。

「神」レベルのヒトたちなのだ。

プロになりたきゃセツに行けぐらいの話であろう。

 

以前某銀座の出版社が新しい本を創刊する時に、

表紙を描くヒトが決まらないので

セツモードに行ってイラストレーターを

スカウトに行っているという話もあったぐらいである。

結局、既製のイラストレーターを使うことになったのだが、

もし、あれでガクセーが表紙を手がけていたら

とんでもないシンデレラストーリーであろう。

あそこで週刊誌の表紙を毎回描いていたら

カナリの収入になったと思う。

 

当時その表紙を手がけたイラストレーターさんと

最近たまたま話をする機会があったのだが、

やはりバブル的なギャラをもらったとのことであった。

ま、あそこは確かにギャラはいいんですよね。

創刊前のパイロット版にも結構なギャラくれるんだから。

 

ハイ。

ワタシもいただきました。

 

世の中はファッションが溢れてはいるのでございますが、

つまるトコロ、すべては「リバウンド」なのだとオモウ。

 

ブットイネクタイが流行った後に細いネクタイが流行る

みたいなモノで、ファッションを筆頭に、

大抵のことはこのリバウンドによって成立している気がする。

 

ビビッドカラーのあとにパステルやアースカラーが来るように、

ドSのあとにドMがくるように、

電子音楽のあとにアンプラグドがくるように、

安価なモノが売れたあとに高級品が売れるようになったり、

ロングのあとにショートがきたり、

高級車のあとに軽自動車爆発、

でまたすべてはまた戻り、そのクリカエシ。

 

片一方に寄ればその揺り返しが必ず起こる。

時代の波とゆうのは必ず反転していくとのことでありマス。

オシャレなモノに安定などない。

安定がないからオシャレたる所以だともいえるであろう。

 

これは消費に飽きる、

「飽和」といったことに原因があるのでは、

とワタシは考えている。

 

よーするに目や舌などの五感が慣れてきたら

まったく違うものを与えるとフレッシュに見えてしまう、

といったある種の錯覚ともいえるかと思う。

 

 

しかしその「飽和」となる直前の

沸点を見極めるのがムズカシイ。

 

どのタイミングでリバウンドが起きるのか

急激なのか、グラデーションなのか、

あるいは単純にリバウンドが起こる

と読むならば、

太いネクタイを単純にただ細くすればいいだけなのか

 

 

本質を学ぶというのはムズカシイ。

後付けで結果論をあーだのこーだのゆうのは馬鹿でもできるでしょ。

だからこそリバウンドの見極めが最も重要なのだとオモウ。

 

 

都市伝説的だが長沢節のデッサンは一枚20万円はするという。

 

マボロシだろうがなんであろうが、

結局価値を作り出し、生み出したヒトの

勝ちだということなのであろう。

 

 

 

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